田舎の電車から見る
夏の緑はたいそう美しい。カメラ映えする。
夏の日差しを浴びたように鮮やかに見える、って表現があると思うんだけど、じゃあ夏の日差しはなんて表現したらいーんだろう。
恋した人を仰ぎ見た鮮やかさ、とか、ステキかなあ。
古い写真をまとめるのは恥ずかしーので、新しいのからまとめたいなあなど。
こないだ神戸に行ったのだ。たいそうオシャレな街であった。
グラフィグは置くだけで絵になるし安定感あってセットも楽チンなので、旅行のときは必ず連れてってる。
このときの鈴木の目的は、実は某廃墟であった。学生だったころ何回か行ったことがあった。キレーだった。当時はカメラも持ってなくて、写真もろくに残っていなくて、それがすっごいくやしくて!
だからほんとにもっかい行きたい、と思っていて、転職して多少スケジュールに融通がきくようになったから、かねてからの野望を叶えんとひとりで赴いたの、だけど、なんだけど、なんだけどね!
1歩も入れなかったの!!!
入口で延々悩んで、そんで、やめて、帰ってきた。
しょーじき、違法なことは知ってたけど、いざこの表示見たら震え上がった。ここに入って、誰かに見つかったら私は社会的に死ぬのだ、って思ったらすごく怖くなった。
学生のころはこんなこと、思わなかった。撮りたい写真撮ることの方が大事だって思ってたし、むしろ多少の悪いことをしてでもやりたいことやる方がロックでカッコイイ……とすら思ってた。
なんて危うい橋を渡っていたんだろう!
背筋が凍る。よかったなあ。社会的に死ななくて。生きててよかった。
当時ネットで知り合った人たちとつるんでいたけど、よく考えたらその人達、とんでもなく非常識だった。今だから思うけど。コスプレ撮影のために警察に捕まりそうになったり警察に捕まったりしていた。当時はアーティストっぽくてカッコイイ!と思っていた。バカだった。
本当にあそこで足を踏み外さなくて良かったなあ……と思う。趣味に凝るのはいいことだって今でも思っているし、私は趣味がすごく大事だけど、でもそれは人に迷惑かけない範囲でのことに限定されるし、さらに自分の人生に害を及ぼさない範囲に限定される。と、今では思っている。(この、自分の人生への害、とゆー項目はわりと振れ幅が広いのだろうから、警察に捕まるくらいなんてことはないという価値観の人は好きにしたらいいとも思っている)
ゴッホとか、ダリとか、奇行で知られる天才のエピソードを見るとカッコイイなあって思うしこういうのが芸術なんだろうなあって思うけど、鈴木はゴッホじゃなければダリでもない。ふつうの現代で生きるふつうのサラリーマンだし、趣味で表現追求を諦めたって死なないが、職を失ったら死ぬのだ。
ふつうに働いてればたまにはレンズだって買えるけど、職がなくなったらカメラも売らなきゃならないかもしれない。
と、同時に、こういった考え方は、学生だった私が死んでも陥りたくなかった考え方だなあ、などと思う。自分の好きなもの大切なものよりも社会的な体面を重んじるだなんてなんだか俗物的でカッコ悪いと思っていた。実際私の好きなアニメの世界ではそーいうのはカッコ悪い悪役の考え方だった。
主人公はいつでも自分を曲げないし、悪役の提示する、最高の地位をやろうだとか、この世界で生きられなくしてやるだとかいう類いの言葉にはぜったいに流されなかった。
私は主人公にはなれない。
それでもいい、と思い始めたことが、大人になった証なのかもしれない。